デス・オーバチュア
第32話「真昼に踊る吸血鬼と退廃の人形師」




人間は他者を殺すことに理由を必要とする。
我にはそれが理解できない。
なぜなら、我にとって殺人、殺戮とはただの衝動に過ぎないからだ。
殺戮と破壊と吸血。
我にある衝動はその三つだけ。
それさえ満たせるのなら後はどうでもいい。
衝動を満たすためだけに我は存在しているのだから……。



神を信じる聖なる白き国。
その白き国の首都を赤く染めあげていく者が居た。
真昼に血の海で踊る殺人鬼、いや、吸血鬼。
吸血鬼ティファレクト・ミカエルは、視界に捕らえた人間を次々に赤い血と無惨な肉塊へと変えていった。
「アハハハハハハハハハハハハッ!」
ティファレクトは恍惚とした表情で返り血を雨のように全身で浴びながら笑い声を上げる。
素手で切り裂く、心臓を貫く、頭部を握り潰す、とても原始的で乱暴な殺し方だった。
だが、確実に肉塊の山と血の海は増え、広がっていく。
「興に乗っていますわね、これではあたくしの出番はなさそうですわ」
ティファレクトのかなり後ろに控えていた金髪の美女ビナー・ツァフキエルが退屈そうに呟いた。
一緒に血の饗宴に参加しようとは思わない。
下手に獲物を奪ったら、それどころか下手に近づいただけで、今のティファレクトは何をするか解らないのだ。
興が乗った時のティファレクトは敵味方見境が無い。
吸血鬼というより殺人鬼といった方がいいほど目につくものを全て肉塊に変えていく狂気の存在なのだ。
「それにしても今回は激しい……ストレスでもたまっていたのかしら……あら?」
ビナーの足元の肉塊が微かに動いている。
下半身を全て失っていながらその肉片……男はまだ生きているようだった。
男の手が助けを求めるように、藁にでもすがるように、ビナーの足を掴もうとする。
だが、男がビナーの足首を掴むよりも速く、光輝の槍が男の頭部を貫いた。
男は今度こそ絶命し、動かぬ肉塊と化す。
「汚い手で触らないで欲しいですわ」
ビナーは汚らしい塵を見るような眼差しで肉塊の山と血の海を見回した。
先程の男の他にもまだ微かに動いている肉塊をいくつか発見する。
「数が数とはいえ、少々殺し方が雑になってきていますわよ、ティファレクト」
ビナーが人差し指だけを立てた両手を左右に振るうと、光輝の槍が次々に肉塊達に突き刺さった。
「人間の生き汚さ……しぶとさを甘く見すぎですわ」
ビナーは動く肉塊が無くなったのを確認すると、ティファレクトの後を一定の間合いを取りながら追っていく。
「あら、あらら? 聖騎士?」
純白の鎧を全身に纏った騎士らしき一団がティファレクトを取り囲んでいるのが見えた。
『聖なる炎よ、全ての汚れを浄化せよ! 白霊浄化炎(はくれいじょうかえん)!』
騎士達の呪文の合唱と共に天から飛来した複数の白い炎がティファレクトに激突し、巨大な白い火柱と化しティファレクトを呑み込む。
「くっ! 街の被害を考えてませんわね!」
ビナーは反射的に遥か後方の空に転移していた。
ビナーは頭下を、ホワイトの首都を見下ろす。
巨大な、巨大すぎる白い火柱は無数の建物ごと、ティファレクトが生み出した肉塊の山と血の海を全て呑み尽くしていた。
「まあ、すでに住民が避難済みなのか、正義や平和のためなら僅かな犠牲は仕方ないという考えなのか……あたくしにはどうでもいいことですけど……何にしろ、無駄な犠牲でしたわね」
ビナーの見つめる前で、聖なる白い火柱がゆっくりと赤く染まっていく。
そして、火柱は何かに切り裂かれたように消滅した。



ビナーが元居た場所に戻ると、そこにはティファレクトただ一人が立っていた。
よく見ると、聖騎士達のものと思える肉片が辺りに散らばっている。
鎧ごと細切れにされたのか、肉片と鎧の破片が張り付いているものが多かった。
「火柱が消えた後も、変な白い閃光がありましたわね、アレなんでしたの?」
「白霊なんとかという、聖光を放つ呪文らしい……それがあやつらの最後の攻撃となった。聖炎や聖光など我には通用しないというのに……その辺の不死者と一緒にされてはかなわぬな」
「ふ〜ん」
「なんだこの前のことか? この前とて我は敗れてはいない。ただ、前は聖炎を瞬時に破る方法を思いついていなかっただけだ」
この前というのは、以前にティファレクトがホワイトに来た時のことである。
その際、戦闘した魔術師にティファレクトが聖炎の中に閉じ込められて破れたという話を、ビナーはコクマから聞いていた。
「まあ、あなたが白霊呪文ごときで倒れるわけないのはあたくしがよく知っていますわ。あたくしの神属性の力や魔術すら殆ど効かないですもの……不死者としては異常ですわよ、あなた」
「ふん、貴様ごとき神族もどきに我が遅れをとるわけがあるまい」
「あら、言ってくれますわね。なんならここで決着をつけます?」
「『一人』のお前など相手にする気も沸かぬわ。ケセドが全開するまで勝負は預けておこう。さて、殺戮を再開するとするか……」
そう言うと、ティファレクトは新たな獲物を求めて歩き出す。
「言ってくれますわね、お姉様が全開したらどう……あらら?」
ティファレクトの後を追おうと歩き出そうとしたビナーの目の前で、ティファレクトが突然跡形もなく消滅したのだった。



「……どこだ、ここは?」
ティファレクトは奇妙な空間に居た。
一見今まで居たホワイトの首都の街並みと変わらないように見える。
だが、何かが決定的に違っていた。
誰も居ない、人の気配が無い……いや、人に限らずありとあらゆる気配が無くなっているのである。
「……まるで死んだ世界だな」
「その表現は悪くないな……ある意味的確だ」
「誰だ?」
「昨日の客は今日の敵か……面倒なことだ」
艶と輝きのある白髪、青く澄み切った蒼穹の瞳、雪よりも白い肌、彫刻か何かのように完璧で、怖いほどに整った美貌、白衣の人形師リーヴが最初から居たように自然に立っていた。
「この前の人形師か、これは貴様の仕業か?」
「少しばかり位相をズラさせてもらった。ここならいくら破壊してくれてもいいぞ、吸血鬼?」
「……ふん、こんな死んだ世界で暴れても面白くもなんともない。さっさと我を元の世界に戻してもらおうか!」
ティファレクトは横の壁に左手を叩きつける。
それだけで一つの家が跡形もなく崩壊した。
「それはできないな。これ以上、私の住む街を破壊されては困る」
「そうか、ならば、貴様を殺して力ずくで出るとしよう!」
ティファレクトの姿が消える。
「うむ、それは正解だ。私が倒れればこの位相結界も消える……もっともそれは不可能だがな」
「ほざけ!」
ティファレクトは姿を現すと同時に、リーヴの首を刎ねるように右手を振り下ろした。
しかし、ティファレクトの右手はリーヴに触れることもなく、肘から切断され弾け飛ぶ。
「なっ……!?」
「案外、目が悪いのだな、吸血鬼」
「くっ!」
ティファレクトは何かを感じ、横に跳んだ。
「ほう、今度は感じられたか?」
「ぐぅっ!」
ティファレクトは空高く跳び上がる。
次の瞬間、先程までティファレクトが立っていた背後の壁が細切れになって崩壊した。
「そうか……糸か!」
「やっと気づいたか?」
リーヴの左手の指が微かに動く。
その度に、建物が細切れに切り刻まれていった。
「刃物でもワイヤーでもなんでもない、正真正銘ただの糸だ。ただし、人形用の特製のな」
リーヴは左手首を振り、糸を引き戻すような仕草をする。
「ふん、種さえ解ればどうということもない」
ティファレクトは地面に転がっていた己の右手を拾うと、右腕の切断面と繋ぎ合わせた。
「やはり、あの妙な大鎌でなければ問題なく再生する!」
ティファレクトは復活したばかりの右手をリーヴに叩きつける。
「では、これならどうだ?」
リーブは左手を下から上へと振り上げた。
「があっ!?」
ティファレクトが痛みを感じるよりも速く。
ティファレクトの右腕はサイコロのような無数の肉片に瞬時に切り刻まれ崩壊した。



「アハハハハハハッ! この我がまるで見えん! 恐ろしい糸だな……だがっ!」
ティファレクトは右腕を肩の付け根から跡形もなく無くしていながら、楽しげに笑い声を上げる。
「吸血鬼の再生能力を舐めるなっ!」
右肩から異常な勢いで血が噴き出した。
その血が固まっていき、何かの形を形成していく。
そして血は新しいティファレクトの右腕にと姿を変えていった。
「ふむ、不死身というのは狡いものだな……」
リーヴはさして驚いた様子も、慌てた様子もなく、冷静に呟く。
「では、今度は全身を細切れにしても蘇ることができるのか試してみるか?」
「そう何度も遅れはとらんっ!」
リーヴの左手の指が微かに動くと同時に、ティファレクトは右手を突き出した。
「ブラッドスラッシュ!」
ティファレクトの右手から飛び散った無数の血が、無数の赤い刃となって、迫り来る何か向かって激突する。
「つっ!」
リーヴが宙に跳んだ。
リーヴが立っていた場所を赤い刃達が通過する。
「血の刃で糸を切るか……」
「本来、人相手など素手で、怪力だけで相手にするのが我が流儀だ。人相手に能力を使うなど屈辱だが、貴様相手にはそうも言っていられぬようだな」
「どうやら、そちらの刃の方が切れ味は上なようだな」
リーヴは地上に降り立った。
「だが、見切れるか? 我が糸の軌道をっ!」
「ふん! いい加減、目も慣れてきたわっ!」
ティファレクトの瞳が赤く変色する。
色を持たず、光を反射させることすらない、完全なる不可視な糸。
その糸をティファレクトの瞳は捕らえた。
リーヴの左手から伸びている五本の『線』……不可視なる糸を。
「ブラッドスラッシュ!」
ティファレクトの右手から撃ちだされた血の刃が迫り来る五本の不可視の糸を断ち切った。
「見事だ……だがまだだ!」
リーヴが右手を振るう。
新たに生まれた五本の線がティファレクトの腹部に走った。
「があああっ!?」
ティファレクトの腹部が輪切りにされ、上半身と下半身も分かたれる。
「おのれっ!」
上半身だけになったティファレクトが両手を突き出すと、凄まじい数の血の刃がリーヴに降りかかった。
「糸では防ぎきれん……仕方ない。炎よ!」
リーヴの目の前に吹き出した炎の壁が血の刃の雨を全て呑み尽くす。
「魔法だと!?」
「できれば使いたくなかったのだがな」
炎の壁の背後にいるはずのリーヴが、ティファレクトの上半身の背後に出現した。
「サービスだ。もう一つの切り札も見せてやろう。神気発勁(しんきはっけい)!」
リーヴの体が白い輝きを放つ。
「人間が神の気を!?」
「聖皇拳(せいおうけん)!」
リーヴは体中から放たれる白い光を右拳だけに集束させると、ティファレクトの上半身に叩きつけた。
全てを呑み込む閃光。
白き閃光と共にティファレクトの上半身は消し飛んだ。



「切り札の順番が変わってしまった……人形師としての技だけで片づけたかったのだがな……私もまだまだ未熟だな」
リーヴは軽く息を吐く。
「ホント相手が悪かったとしか言いようがないよね、ティファも」
何者も侵入不可能なはずの位相結界の世界に、七色の水晶玉が出現した。
そして、七色の水晶玉の取り囲む空間に、巨大な水晶玉に乗った金髪の幼い少女が姿を現す。
赤いワンピースの愛らしい少女、ミーティア・ハイエンドである。
「たかが吸血鬼ごときが、ガルディア皇国の皇女様に敵うわけないのにね……」
「魔人の妹か……」
「ガルディア皇家の人間は息をするような気軽さで自由自在に魔法を使い、神に通じる聖なる力……神闘気を持つ神人なり。噂には聞いてたけど……実際に目にするととんでもないね。ティファの上半身なんて細胞一つ残らず消し飛んでるもん」
「ふん、私は国を捨てた身だ、皇国は関係ない。そんなことより、お前も私が怠惰に暮らすためのこの国を荒らすつもりか? それならば、この吸血鬼相手には使い切れなかった切り札を使わせてもらうが?」
「あはははっ、冗談じゃないよ。皇女様みたいな化物と、ミーティアは絶対に戦いたくないよ〜」
ふわふわという間抜けな音と共に、ミーティアは地面に転がっているティファレクトの下半身の上に移動した。
「ミーティアは、これを回収させて欲しいだけなんだけど……駄目かな?」
ミーティアは、可愛くおねだりするように上目遣いでリーヴを見る。
「……好きにしろ」
リーヴは興味なさそうな表情であっさりと承諾した。
「いいの? ホントに? ティファの性格だったら、蘇ったら、必ず皇女様に再び挑むよ」
「それはそれで暇潰しになって、面白いかもしれないな……まあ、とりあえずさっさとそれを持ってホワイトから引き上げてくれればそれでいい」
「あははっ、完全に舐められてるね、ティファ。例え、百万回戦っても百万回とも絶対に勝てる自信が皇女様にはあるわけだ……まあ、そう思っても無理もない実力差だしね。一応、お礼は言っておくね、皇女様。駄目だって言われたらどうしようかと思ったよ……ティファへの愛のために、敵うはずもない皇女様に挑まなければならないかと……」
ティファレクトの下半身が、ミーティアの乗る巨大なな水晶玉の中に吸い込まれる。
「じゃあね、皇女様。ファントムは、あなたにも、ガルディアにも敵対する気はないから、それは誤解しないでね」
七色の水晶玉が輝くと、ミーティアの姿は現れた時と同じように綺麗に消え去った。
「ふう、久し振りに魔法やら神闘気やら使ったから疲れたな……帰って寝るか……」
リーヴは気怠げな表情で呟くと、指を鳴らす。
それだけで、位相のズレた世界は元の健全な世界へと戻った。
「……リーブ様」
羽衣のような布を羽織った人形のように無表情な女が片膝をついてリーブを出迎える。
「ん? どうした、舞姫。もう一匹の方は追い払え……なかったようだな」
舞姫の後ろに立っている金髪の美女を見つけて、リーヴは心底面倒臭そうな表情を浮かべた。
「あ、あなたが舞姫先生のマスター? あ、大丈夫大丈夫。もう、ホワイト侵攻はやめたから。あたくしはただ舞姫先生や、舞姫先生のマスターのあなたに用があるから待ってただけですわ」
ビナーは遊びか何かのような気軽さで、侵攻をやめたと宣言する。
「……用?」
「舞姫先生をあたくしに売って!」
「…………はっ?」
あまりに予想外なセリフだったのか、リーヴは間の抜けた声を上げてしまった。
「もう一目惚れですわ! こんな強くて、美しくて、凛々しい人形がこの世にあったなんて! もうこれは絶対にゲッドするしかないですわ!」
ビナーは瞳を輝かせ、拳を握り締め、力説する。
「……舞姫、お前、何をやったんだ?」
「……リーヴ様の御命令通り、この方にホワイトから引き上げていただくために戦闘を少々……」
「……それで、なぜ、お前を買いたいなんて話になる……」
「駄目ですの? それなら、あたくしの方が舞姫先生の物になりますわ! ぜひ、あたくしにあの美しい舞のレッスンをして欲しいですわ!」
「…………」
「…………」
人形師とその人形は互いに無言で見つめ合った。
「あ、そうですわ! あたくしが人形の作り方を習って、舞姫先生みたいな素晴らしい人形を作るというのもいいかもしれませんわね、名案ですわ!」
「……帰るぞ、舞姫」
「はい、リーヴ様」
リーヴと舞姫は、ビナーから逃げるように早足で歩き出す。
「あ、待ってくださいですわ〜!」
ビナーは二人の後を慌て追いかけた。
彼女の頭の中からは、ホワイト侵攻に始まるファントムの計画も、ティファレクトの安否を確かめることも、完全に消え失せていた……。










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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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